社長短信 2022年3月 第295号
泥棒と悪口を言うのと、どちらが悪いか
これは作家の三浦綾子さんの問いかけですが、三浦さんは悪口のほうが罪が深いと言われます。
人の物を盗る泥棒と人の悪口を言うことはどちらも悪いことには違いありません。
しかし、泥棒に入られたために自殺した話は余り聞きませんが、人に悪口を言われて自殺した老人や少年少女の話はよく聞きます。
更には精神薄弱児の三割は妊婦が出産の三ヶ月以内に強烈なショックを受けた時に生まれる可能性が高いそうです。
物資的損失は努力によって補うことは出来ますし、時が経つと忘れることも出来ますが、心の傷は一生残る場合が多く、ショックの度合いによっては人を死に追いやります。
けれども不思議な事に私たちは人の悪口をいとも楽しそうに言い、また楽しそうに聞いています。
この事に違和感を覚える人は多いと思いますが、これが人間の悲しい性です。
自分が悪口を言われたら夜も眠れないくらい悔しかったり、怒ったり、悪口を言った人を恨んだり、二度と会わないようにします。
自分がそのように感じる事は他人も同じように感じる事だと知っているはずです。
しかし、私たちは自分の犯した罪を素直に認めようとはしません。
何故なら人間は常に二つの尺度を持つからです。
「自分のすることはそんなに悪くはない」
「他人のすることは大変に悪い」と自分の過失をとがめる尺度と、他人の過失をとがめる尺度が全く違うからです。
他人からウソを言われると「絶対に許さない」と言う人も自分がウソをつくのは仕方がなかったとか、相手が悪いからなどと言い訳を言います。
これは自己防衛本能が働き、無意識に自分を守るために自己を正当化をしているからです。
人間が本能のままに生きていくと自己中心的な生き方となり、人間社会は成り立たなくなります。
人間社会を健全に成立させる方法は簡単です。
自分がされたら嫌な事は決して他人にもしない、という決意を持って確実に実行するだけです。
言うのは簡単ですが、実行するのは相当な強い意志と努力が必要です。
その努力の積み重ねによって人間的成長を図ると共に、健全な人間関係を構築したいものです。
感謝合掌 山内 恭輔