社長と共に人間学を学ぶ その2

つばめのリーダーの皆さん、そして自らが人間学を学ぼうとされる皆さん、こんにちは。

二回目の人間学を学ぶを送付します。

子曰(のたま)わく、学びて時にこれを習う、また楽しからずや。

朋(友)遠方より来たる有り、また楽しからずや。

人知らずして怨みず、また君子ならずや。

学而第一

意味は

『孔子が言われた。聖賢への道を学んで、時に応じてこれを繰り返し実践し、その真意を自ら会得することが出来ることは、なんと喜ばしいことではないか。 共に道を学ぼうとして、思いがけなく遠方から同志(朋)がやって来るのは、なんと楽しいことではないか。 人が自分の存在を認めてくれなくても、自らが為すべきことを努めて止まない人は、なんと立派な人ではないか。』

詳しく解説しますと、

聖賢への道とは、聖人と賢人の両方を備えた知徳の備わった人を目指す道ということですが、簡単に言えば立派な人を目指して学ぶ、ということです。

そして、「習う」とは、ひな鳥が羽を何度も羽ばたかせて飛ぶ練習をする様を表した漢字ですが、繰り返して実践しなければ飛び立てません。

学ぶだけでなく、何度も実践をしなければ心身に会得は出来ないという教えですね。

また、友達を選ぶことは大切であり、酒や遊びを目的とする友達よりも、真剣に生きる道を求めることを目的とする朋友と酒を酌み交わすことは大切です。

単なる友達と朋友の違いはここにあります。

幕末の志士達が真剣に日本の将来を語り、命を賭して明治維新を迎えることが出来ましたが、彼らの多くは論語をしっかりと学んでいましたから、朋友と呼べる間柄なのでしょうね。

また、人知らずして恨みず、とは、学ぶというのは自分のためにするのですから、他人が評価してくれなくて気にせずに学ぶことが大事である、とも言ってます。

人間はとかく弱い存在ですから、誰かに認めて欲しいという気持ちが強いものですが、それが余り強すぎると立派な人物とはなれない、と言うことでしょうね。

論語は2500年前の中国の書物です。

これは孔子の言葉や弟子とのやり取りを孔子の死後に孫弟子が編集したものです。

20編、約500章の短い言葉ですが一つひとつが独立した文章ですので、どこから読んでも良い気軽に取り組める書物です。

次講は来週末に送ります。

最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

感謝合掌 山内 恭輔

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