社長と共に人間学を学ぶ その7

人間学を学ぶ朋友(志を共にする最上位の友人関係の意味です)の皆さん、こんにちは。

さて、今回は父親についての論語を一緒に学びましょう。

短い文章ですが、父親に対する態度や考え方を子供に諭すと同時に、父親自身にも自らが子供や周りから尊敬される人物になることを暗に諭す、なかなか意味深い一文です。

子のたまわく、父存(いま)せば其(そ)の志を観(み)、父没すれば其の行いを観る。

三年、父の道を改むる無くんば、孝という可(べ)し。

『学而第一』より

意味は

孔子が言われた、父が生きている時には、その気持ちを察して、父に従うように努め、父が亡くなられてからは、その行われた跡を観て、これを継承するのがよい。
そうして三年の間、父のしきたり(行ったこと)を改めず、ひたすら喪に服する人なら、真の孝子(親孝行な人)と言えるであろう。

まず言葉の解説をします。

『子のたまわく』の子は孔子さんのことを示します。

『観る』という言葉を使っていますが、『見る』とは意味合いが違います。

内観という言葉がありますがこれはその人の心の内側を観る、という意味です。

それに対して、見るというのは目に見える表面的な見方を意味します。相手の気持ちを察することで観る力を養いたいものです。

『父在せば其の志を観る』、『父没すれば其の行いを観る』

昔も今も父親はあまり語らない存在だったようです。

しかし、子供は父親の気持ちを察する努力をして、それに従うことが大切だと孔子さんは言われます。ここに、子供が父親に対する取るべき態度を表しています。

更に、父親が亡くなられてからも『しきたり』を改めない、というのは、道徳的な観点からの行い、あるいは家訓のような家族が大切にしている行いや考え方を示します。

例えば、親族や近所との付き合い方、朝晩に先祖を奉る儀式のやり方、等です。

しかし、しきたりを改めないことも大切ですが、それよりも三年もの長い間、喪に服する気持ちを持つことの方が大切だと言われます。

喪に服する、というのは何もしないということではありません。

孔子さんの一番弟子と言われる曹子(そうし)さんは師匠である孔子さんが亡くなられてから6年の間、ずっと墓守りをしながら勉強をして、更に孔子の教えを深めて、その後の弟子達が孔子さんの言葉を編集して論語を創る基を作られたそうです。

孔子さんも立派な方ですが、曹子さんも立派な方です。

『孝』という意味は親孝行を表しますが、論語では親孝行は立派な人間、すなわち仁徳者であるための第一条件であるとしています。

更に、親孝行とは、単に親を養うことではない、養うだけなら牛馬でもしているのであり、真の親孝行は親を心から敬愛することだと孔子さんは言われています。

社会的に成功者と言わるようになった人でも、いつまでも親に対する敬愛を忘れていない人こそが周りからの尊敬を得ることが出来ます。

私達も親を心から敬うことで親孝行をすると共に、子供達から尊敬される人間を目指してこの人間学を学び、人間的成長を目指していきましょう。

最後まで読んで下さりありがとうございました。

感謝合掌 山内恭輔