社長と共に学ぶ人間学 その27

人間学を共に学ぶ親愛なる皆さんへ

前回26回から、私の都合により随分と間が空いてしまいました。

大変に申し訳ありません。

さて、東日本大震災の復興も道路、鉄道などのインフラ整備においては驚異的な早さで進んでいます。

これも世界の人々が賞賛する日本人の勤勉さの表れでしょうね。

明治維新後に日本は驚異的な早さで近代化が進みましたが、これも江戸時代に寺小屋が沢山に普及して、当時でも識字率(文字を読める人の率)がイギリスを抜いて世界一という国民の教育レベルと高い道徳観、労働観があったからからこそだと言われます。

その寺子屋での教科書が論語です。

その論語は日本には1600年前に伝わりましたが、日本人は論語によって高い道徳心や勤勉を重んじる遺伝子を受け継いでいるだと思います。

今回は勉強の仕方について論語から学びましょう。

子曰く、学びて思わざれば則ち(すなわち)罔し(くらし)、思いて学ばざれば則ち殆し(あやうし)。

為政第二より

和訳

孔子がこうおっしゃった。
物事を学ぶだけで自分で深く考えないと本当の知識は身につかない。

自分で考えるだけで師から学ばなければ(独断・独善の弊害が生まれ)危険である。

解説

物事を学ぶときに、その学んだ内容を自分に置き換えて、自分だったらこうする、ああする、などと深く考えないと単なる物知りで終わり、それでは、何も役に立ちません。

「深く考える」とは自分に当てはめて考えるということです。

しかし、自分で考えるだけでなく、師匠を持ち、その師匠に時には質問をしながら学ばないと、自分勝手な解釈となってしまい、独善におちいる危険性があるということです。

孔子さんも自分自身が死ぬまで、周公という人物を尊敬していたそうです。

人間は誰しも、もう自分は学べる人が居ない、あるいは学ぶ必要がない、と思った瞬間からごう慢になってしまいます。

常に謙虚にあらゆるモノから学ぶ姿勢を忘れたくないものです。

最後まで読んで下さり、有り難うございました。

感謝合掌 山内 恭輔

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